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2005年
 |4月27日〜5月18日|5月19日〜6月28日|退院後


2005年5月19日
 手術の説明を受けました。
 まず、現段階の旦那君の病状(?)の診断結果ですが、、『ICD皮膚圧迫壊死感染』というものでした。
 ICDによって皮膚が圧迫され続けた結果、内出血がおこり、体液や膿などが溜まってしまった状態になった……といった感じでしょうか。
 内出血の度合いが、予想以上に酷かったので、想定していた手術の予定などが大幅に変更されました。
 当初予定した手術は、ICDの位置を移動するものでしたが、ICDを一度取り出し、内出血の度合いと術後の経過を見て、今後を決めることになりました。

 この日、医師から受けた今後の対処としては、次の2つでした。

<ケース1>
内側の内出血が安定してから、今の箇所から場所をずらして筋肉下に植え込む。

<ケース2>
右側の筋肉下に、新しくICDを植え込む。この場合、リード線も新たに入れ直す。

 
 今までは、ICDを皮下に入れてましたが、旦那君の場合、皮下脂肪が薄い&脂肪が着きにくい体質の為、筋肉下に入れないと、また同じことが繰り返される可能性があるとのことでした。
 ちなみに、筋肉下に植え込みになること関しては、予想通りでした。

 内出血の経過をずっと見てきたので、予感というか、覚悟はしていました。
 でも、やっぱキツかったですね(苦笑)
 一週間のつもりの入院が、退院未定になったのですから。
 ちと辛かったので、ロールケーキを買って帰りました。
 辛いときや、自分に気合を入れたい時は、甘味を摂取。
 私なりの、ストレス解消法です(笑)

2005年5月20日
 手術当日でした。
 時間ギリギリ滑り込みセーフで、手術室に移動する旦那君に会えました。

 この日の朝、手術室に行くためにストレッチャー(この時のは車椅子っぽかったです)に乗った時に気づいたそうなのですが。

 ……内出血が破れてたそうです。

 怖っ! シャレ抜きで怖っ! 
 って思いました。
 ギリギリセーフというか、ギリギリアウトというか(苦笑)

 手術は無事に終わり、取り出されたICDをいただきました。
 一年近く、旦那君の命を守ってくれた、大切なお守りです。
 感謝感謝。
 ちなみにICDですが、ジッポライターくらいの大きさでした。


2005月5月21日〜6月14日
 術後の回復待ちでした。
 一番心配された感染症も無く、比較的平穏な日々でした。
 娘が1才を過ぎ、甘えん坊モード真っ盛りでしたので、お見舞いは2〜3日置きでした。
 その為、行く度に両手に洗濯物や読み物などを抱え、自宅に帰ると娘を抱え、忙しかったなぁと思います。

  あと、日付は忘れましたが、日本医科大学病院へ外来に行きました。
 外来では、転院の日程の調整と、旦那君の簡単な検診を行いました。
 

2005年6月15日

 旦那君をすんげー叱り飛ばした記憶があります。
 それも書いちゃえ。

  入院にあたり、ICD手帳も一緒に旦那君に持たせていたのですが、そのことをすっかり忘れた旦那君。
 「ICD手帳、必要みたいだから明日持ってきて」と、携帯の留守録に入ってました。
 あれ? 確か持たせたような気がするんだけどなぁ〜と思ったので、旦那君の携帯にTELをしました。
  入院中なので滅多に繋がらないので、留守録に「もっかい連絡頂戴」 と入れ、まぁ念のためと思って、自宅に帰り探しました。

 えぇ、見つかりませんとも。どっこにも。だって旦那君が持っているのですから!(怒)
 その後、待てど暮らせど連絡の無い旦那君に、仕方が無いので病院に直接電話をしました。
 ようやく連絡がついた旦那君に「ICD手帳は、入院時に一緒に持たせた筈だ! 探せ!」と命令(笑)し、無事に見つかりました。
 病室の引き出しに、ちゃんとありましたよ、手帳一式。

  この時、夜の9時でしたね。
  旦那君が、次の日に転院するので、 姉の家に、こはむちゅと一緒にお世話になってたんですよ、当時。
  娘は1歳なりたてで、私がいる時といない時がまちまちだったりして、また自宅でなくて姉の家なので環境もちぃとばかし違う状況下で、甘えたさん全開モードだったのですよ。それで姉も大変だったと思います。
  この日は転院の手順とかもあり、午後4時位に病院に行き、6時過ぎに、姉の家に帰る途中で、旦那君からの「手帳持ってきて」電話を貰ったんですよ。
  すぐに折り返し電話したけど繋がらなく、念の為に自宅に帰って……といった次第でした。
  大事な事なんだから、ちゃんと繋がるまで連絡しろ! ともんのすご〜く怒りました。
  旦那君が、次の日に来てもらえないのではと心配するくらい(笑)
 

2005年6月16日
 東京医科大学病院から、日本医科大学病院に転院しました。
 循環器のお医者様と一緒に、タクシーで移動でした。

 東京医科大学と比べて、病室が狭かったです。病室もベッドも、ベッド同士の間隔も(笑)
 病院によってこんなに違うんだと、妙に関心しました。

 あと、東京医科大学では、病室は循環器にかかっている患者さんが殆どでしたが、日本医科大学の病室は、色んな病気の方が一緒でした。
 後で聞いた話だと、循環器専門の病棟もあったらしいのですが、発作が起きた場合、どっちも同じだろうと言うことで、こっちの病室になったみたいでした(苦笑)


2005年6月17日〜20日
 日本医科大学病院にて、現在の旦那君の病状や、植込みに関しての話し合いなどを、お医者様を交えて行いました。
 ICDの植え込みについては、今まで使用していたリード線は使用せず、右胸の筋肉下に新たにICDを植込み、またリード線も新しく入れなおす事になりました。
 手術の日程は、6月21日に決定し、漸く先が見えたぞ! と人心地ついた気分でした。


2005年6月21日
 ICDの植込み手術当日でした。
 手術は朝一で行われ、7時頃には病院についていた方が良かったのですが、ちょっとバタバタしてしまい、若干遅れてしまいました。
 病院に着いた頃には、旦那君の両親が先に来てくれていました。
 旦那君の両親は、身体があまり良くない状態でしたが、前日に、病院の近所のホテルに宿泊し、朝はタクシーで来てくれました。
 手術開始が7時半で、終わったのが12時近くでした。

 手術は無事に成功しましたが、前回の植え込みと違い、今回は全身麻酔だった事と、筋肉下に植込んだ為、前回より痛みも酷いようでした。また、手術後にお医者様から言われたのですが、やっぱり旦那君の皮膚は、通常より若干薄かったそうです(苦笑)
 とにかく、手術自体は無事に成功したので、良かったです!


2005年22日〜27日
 術後の回復待ちでした。
 やっぱり筋肉下に入れた為、痛みと筋肉痛に悩まされておりました。特に、筋肉痛にはかなり悩まされていたようです。
 湿布を処方してもらったり、鎮痛剤を処方してもらったりしました。
 それ以外には、特に問題も無く、順調に回復していきました。 
 

2005年6月28日
 待ちに待った、退院の日でした!
 大きな荷物は、病院から駅に向かう途中にあるコンビニで発送しました。何だかんだと、荷物はやはり多くなるものですね(苦笑)
 昼頃に退院したのですが、今回の手術費用も、約200万近かったです。本当は厚生医療の申請をするつもりだったのですが……間に合いませんでした!
 幸い、今回は旦那君の生命保険で200万円が出たばかりだったので、何とかそれで払う事が出来ました。
 本当に、生命保険、入っていて良かったです。ちなみに私も、これを機に生命保険に入りました。万が一の為に。これでなんかあった時には、何となる……かな?(笑)

 自宅に帰って、旦那君も娘も、もちろん私も、ほっとしました。

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