2004年
|6月9日〜6月20日|6月21日〜7月1日|7月2日〜7月27日|退院後|
2004年6月21日
高圧酸素療法の為に、東京医科大学八王子医療センターへ転院。ドクターカーに乗り、新宿から病院のある八王子へ移動しました。
ドクターカーには、万が一に備えてお医者様が1人同伴し、心電図などを付けての移動となりました。
渋滞なども無く、1時間ちょっとで病院の方に着きました。
この日から、一般病棟に移動となったので、旦那君も随分(気持ち的に)楽になったようでした。
あとで聞いたところ、20日までの記憶は殆ど無いそうで、覚えているのはこの日からとの話でした。
17日からは、旦那君の様子は一見した所、普段通りに近い状態だったので、これには正直驚きました。
高圧酸素療法の説明などを聞き、この日は帰りました。
……そういえばこの日、旦那君とすっかりくつろいでいたら、教授と研修医十数名といった感じの回診があり、まるで『白い巨塔』のようでした(笑)
週刊誌を読んでいたり(旦那君)差し入れに持ってきたチーズケーキを食べていたり(私)していたので、ちょっと恥ずかしかったのを覚えております。
2004年6月22日〜27日
高圧酸素療法を、計3回行いました。ワンクール5回で、効果が出ればもうワンクール行うとの事でした。
この辺りからは殆ど以前と変わらない様子で、記憶も出来るようになり、徐々に意識もすっきりしていったようでした。
2004年6月28日
高校時代、専門学校時代の友人が、お見舞いに来てくれました。高校の友人が7名、専門学校の友人が8名の、総勢15名(笑)。
偶然同じ日に来てくれることになり、前半は高校、後半は専門の友人たちと久しぶりに歓談しました。楽しかった〜。
倒れた次の日に、メールなどで旦那君の症状を知らせていたので、あまりの回復っぷりに驚いていました。
我が家と同じ時期に、奥様が出産した友人もいて、親ばか話に盛り上がっていました。
2004年6月29日
お見舞いのお休み日でした。
この時期、疲れが溜まっていたのか風邪を引いてしまいました。その為、今後のことも考えてこの日は休日にし、久しぶりに愛娘と一日のんびり寝て曜日でした。
お見舞いに行っている間、愛娘は実家の母や、救援に来てくれる姉に面倒を見てもらっており、家に帰る頃には胸が張って痛かったです。
特に救急救命にいた間(6/10〜6/21)は、午前11時には家を出て、帰宅は午後9時近くだったので、途中でトイレなどで乳を搾ったりし、中々大変でした(苦笑)
母や姉、そして幼き愛娘に心から感謝です。本当に、本当にありがとう!
2004年6月30日
この日で高圧酸素療法が終了しました。改善が見られ、これ以上の治療は必要なしとのことで、翌日、再度新宿の方に転院とのことでした。
2004年7月1日
本格的に心室細動の原因究明及び治療をはじめる為、再度、新宿の東京医科大学に転院しました。
今回は民間の医療車にて八王子〜新宿に移動しました。今回も、行きと同様に心電図、お医者様も同伴して頂けました。
何事もなく、また渋滞にも巻き込まれず、順調に転院できました。
夕方から、今後のスケジュール等の説明を受けました。
電気生理学的検査やカテーテル、MRIなど、結構盛り沢山の内容でした。
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